入試問題が変わると、学力が上がるのか。(その2)


都立高校が元気だった頃の入試問題は、決して、今「教育庁」が目指しているような「りっぱなしろもの」ではなかった。基本や常識を問う「総合問題」が、それだった。

1965年~1968年にかけて、 当時の日比谷高校を頂点とする、受験勉強に特化した都立高校のあり方に反発した「小尾乕雄教育長」の主導により、
「進学指導の禁止、浪人のための補習科の廃止、 学校群制度導入」が、次々と、打ち出される。

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これらが実施されると、都立高校の進学実績は急峻なカーブを描いて下降する。日比谷高校の東大合格者は、1965年~1970年の5年間で181人→99人へと激減する(写真)。1993年には、ついに合格者1名というところまで凋落する。

いつしか受験の中心が、都立高校受験から中学受験へと移行していたのである。(つづく)



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