入試問題が変わると、学力が上がるのか。(その3)
均質な授業を与える。そしてテスト、そのテストをネタに成績をつける。ついてしまった成績を見て、何かが始まるわけではない。ここで、終わり。本当は、ここからが、「教育」のはずだった。
私たちは、<授業+テスト+成績>のような過程を、これまで「教育」と称して続けてきましたし、それを容認してきたのです。いろいろな改善策が実践されたでしょうが、結局、テストをして、成績をつけることが「教育」だったのです。多くの子は、分数や割合の基本概念、ことばのしくみや論理の組み立て方もわからないまま、そして、モノにも、コトにも、世の中にも興味を持てないまま、小学校や中学校を終えてしまっているのです。
子ども、一人一人の、「学習履歴」を「データベース化」すべき時が来ているように思う。その子が、どの学年になっても、どこに転校しも、教師はそれを参照して指導にあたれるような「データベース」。PCやタブレットはここで生かされるべきだ。<この子は、「俺が」と「俺は」の区別ができないとか、「みんな、上手にお絵かきができたよ。」の文構造:「みんな」「上手に」「お絵かきが」のいずれも、「できたよ」を修飾していることがわからないとか>、こういった情報が記録されていれば、そして、それを使って指導できる「教育態勢」があれば、多くの子どもたちは悲惨な学習体験の山を築かずにすむと思う。
しかし、「教育者たち」は、いまだに、「いいテスト」=「思考力を要する高級なテスト」を与えれば、子どもたちの学力が上がると信じているようだ。「センター試験」を廃止しておこなうという「高校生の共通テスト」も、同じ「教育者たち」の考えつきそうなイベントだ。これだけ少子化が進んでいるにもかかわらず、試験で、子どもたちを選別し、ふるいにかけて、何が楽しいというのか。

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