国語 古文演習 九大三番2012 のつづき


と、兼ての後ぞおもはるる。萩原、
また後のちぎりまでやはにゐまくら ただこよひこそかぎりなるらめ
といひければ、女とりあへず、
ゆふなゆふなまつとしいはばこざらめや かこちがほなるかねごとはなぞ
と返しすれば、萩原いよいようれしくて、たがひにとくる下紐の、結ぶ契りやにゐまくら、かはす心もへだてなき、むつごとはまだつきなくに、はや明がたにぞなりける。
 萩原、その住給ふ所はいづくぞ。木の丸殿にはあらねど名のらせ給へといふ。女聞て、みづからは藤氏ののすゑ、二階堂政行の後也。そのころは時めきし世もありて家さかえ侍べりしに、時世うつりてあるかなきかのふぜいにて、かすかに住侍べり。父は政宣、京都の乱れに打死し、兄弟みな絶て家をとろへ、わが身ひとり、女のわらはと万寿寺のほとりに住侍べり。名のるにつけては、はづかしくも悲しくも侍べる也と、かたりけることばやさしく、ものごしさやかにあいぎやうあり。すでに横雲たなびきて、月山のはにかたふき、ともし火白うかすかに残りければ、名ごりつきせずおきわかれて帰りぬ。それよりして、日暮れば来り、明がたにはかへり、夜ごとにかよひ来る事、更にその約束をたがへず。荻原は心まどひてなにはの事も思ひわけず、ただ此女のわりなく思ひかはして、契りは千世もかはらじと通ひ来るうれしさに、昼といへども又こと人に逢ことなし。かくて廿日あまりにをよびたり。
 隣の家によく物に心得たる翁のすみたるが、荻原が家にけしからずわかき女のこゑして、夜ごとに哥うたひわらひあそぶ事のあやしさよと思ひ、壁のすき間よりのぞきてみれば、一具の白骨と荻原と、灯のもとにさしむかひて座したり。荻原ものいへば、かの白骨手あしうごき髑髏うなづきて、口とおぼしき所より声ひびき出て物がたりす。翁大におどろきて、夜のあくるを待かねて荻原をよびよせ、此ほど夜ごとに客人ありと聞ゆ。誰人ぞといふに、さらにかくしてかたらず。翁のいふやう、荻原はかならずわざはひあるべし。何をかつつむべき。今夜かべよりのぞき見ければ、かうかう侍べり。をよそ人として命生たる間は、陽分いたりて盛に清く、死して幽霊となれば、陰気はげしくよこしまにけがるる也。此故に死すれば忌ふかし。今汝は幽陰気の霊とおなじく座して、これをしらず。穢てよこしまなる妖魅とともに寝て悟ず。たちまちに真精の元気を耗し尽して性分を奪はれ、わざはひ来り。病出侍べらば、薬石・鍼灸のをよぶ所にあらず。伝尸癆祭の悪証をうけ、まだもえ出る若草の年を、老さきながく待ずして、にはかに黄泉の客となり、莓の下に埋もれなん。諒に悲しきことならずやといふに、荻原はじめておどろき、おそろしく思ふ心つきて、ありのまゝにかたる。おきな聞て、万寿寺のほとりに住といはば、そこにゆきて尋ねみよとをしゆ。
 荻原それより五条を西へ、万里小路よりこゝかしこをたづね、堤のうへ柳の林にゆきめぐり、人にとへどもしれるかたなし。日も暮がたに万寿寺に入て、しばらくやすみつつ、浴室のうしろを北に行てみれば、物ふりたる魂屋あり。さしよりてみれば、棺の表に、二階堂左衛門尉政宣が息女弥子、吟松院冷月禅定尼とあり。かたはらに古き伽婢子あり。うしろに浅茅といふ名を書たり。棺の前に牡丹花の灯籠の古きをかけたり、疑もなくこれぞと思ふに、身の毛よだちておそろしく、跡を見かへらず寺をはしり出てかへり、此日比めでまどひける恋もさめはて、我が家もおそろしく、暮るを待かね、あくるをうらみし心もいつしか忘れ、今夜もし来らばいかゞせんと、隣の翁が家に行て宿をかりて明しけり。
 さていかがすべきとうれへなげく。翁をしへけるは、東寺の卿公は行学兼備て、しかも験者の名あり。いそぎ行てたのみまいらせよといふ。荻原かしこにまうでゝ対面をとげしに、卿公おほせけるやう、汝はばけものゝ気に精血を耗散し、神魂を昏或せり。今十日を過なば命はあるまじき也とのたまふに、荻原ありのまゝにかたる。卿公すなはち符を書てあたへ、門にをさせらる。それより女二たび来らず。
 五十日ばかりの後に、ある日荻原東寺にゆきて、卿公に礼拝して酒にえひて帰る。さすがに女の面かげこひしくや有けん、万寿寺の門前ちかく立よりて、内を見いれ侍べりしに、女たちまちに前にあらはれ、はなはだ恨みていふやう、此日比契りしことの葉のはやくもいつはりになり、うすき情の色みえたり。はじめは君が心ざしあさからざる故にこそ我身をまかせて、暮にゆきあしたにかへり、いつまで草のいつまでも絶せじとこそちぎりけるを、卿公とかや、なさけなき隔のわざはひして、君が心を余所にせしことよ。今幸に逢まいらせしこそうれしけれ。こなたへ入給へとて、荻原が手をとり、門よりおくへつれてゆく。めしつれたる荻原が男は、肝をけしおそれてにげたり。家に帰りて人々につげゝれば、人みなおどろき行てみるに、荻原すでに女の墓に引こまれ、白骨とうちかさなりて死してあり。
 寺僧たち大にあやしみ思ひ、やがて鳥部山にはかをうつす。その後、雨ふり空くもる夜は、荻原と女と手をとりくみ、女のわらはに牡丹花の灯籠ともさせ出てありく。これに行あふものはおもくわづらふとて、あたりちかき人はおそれ侍べりし。荻原が一族これをなげきて、一千部の法華経をよみ、一日頓写の経を墓におさめてとふらひしかば、かさねてあらはれ出ずと也。




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