アルファベットは、「筆記体」をこそ・・・(1)
(中1?) 今の英語指導では、何が悲しくて筆記体を扱わなくなったのでしょう。
「文字言語としての英語に一歩を踏み出す者にとって一番楽しいはずの体験を放棄している」
と言ったら、大仰でしょうか。

与えられた困難を人間の力で解決しようとして営まれるテクノロジーには、問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発によって解決しようとするというかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる。科学技術によって産み落とされた環境破壊が、それを取り戻すために、新たな技術を要請するといった事例は、およそ枚挙にいとまないし、感染防止のためのワクチンに対してウィルスが耐性を備えるようになり、新たな開発を強いられるといったことは、毎冬のように耳にする話である。東日本大震災の直後稼働を停止した浜岡原発に対して、中部電力が海抜22メートルの防波堤を築くことによって、「安全審査」を受けようとしているというニュースに接したときも、同じ思いがリフレインするとともに、こうした展開にはたして終わりがあるのだろうかという気がした。技術開発の展開が無限に続くとは、たしかにいい切れない。次のステージになにが起こるのか、当の専門家自身が予測不可能なのだから、先のことは誰にも見えないというべきだろう。けれども科学技術の展開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引していく不気味なところがある。いったいそれはなんであり、世界と人間とのどういった関係に由来するのだろうか。
キーボードを叩けば、あるいは、液晶に浮かぶキーに触れれば、文字や文が苦もなく生産されていく「現在のテクノロジー」を、創造したのは、今は亡きSteve Jobs氏だった。氏は、スタンフォード大学の卒業式で、フォントについて語っている。
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