梁塵秘抄口伝集(2016千葉大)のためのプリント


後白河院と傀儡女(くぐつめ)たちとの交流を後白河院本人が記したもの
   傀儡女:今様の歌い手、白拍子、遊女

[本文]
五月、花のころ、江口・神崎の君、美濃の傀儡子あつまりて、花参らせしことありき。歌沙汰ありしに、

「延寿、『恋せば』と申す足柄をいまだうたはぬとて、御所に習ひまゐらせたきを、え申し出でぬと、これかれに聞かれ候ふ」

と言ふと聞きしかども、聞き入れぬやうにてありしほどに、季時入道して申し出だしたり。

いかでさることはあらむずるぞ。逆さまごとにてぞあらむ。我がためは名聞にてこそあれど、かたはらいたし。さはのあこ丸うたふめるは。それに習へかし」

と返事に言ふ。延寿また申すやう、
「いかさまにも習ひまゐらせて候はむこそ、この世のよろこびにては候はめ。あこ丸は、大進も小大進もみな知り候はぬを、誰に習ひたるぞとおぼつかなく候ふ。またこれらも、さ申せば、かたがたに」

と申せば、

「のちにこそ。これら居るときありて、開きとられなむずるは。ひとりあらむ時に、さらば教へむ

と言ひしを、

「残りとどまりて習はむ」

いたく言ひしかば、乙前に

「いたく言ふ。いかに」

と語りしを、

「さ申さば、教へさせたまへかし。さやうにいみじがり申さば、さやうの料にてこそ候へ」

と乙前申ししかば、夜々二三夜ばかりにぞ教へたりし。似せぬところも、かたはらいたくおぼえて、え直さで、我、良くなるまでうたひてぞ教へし。その後、暇請ひしに、疾くとてありしをよび返して、(足柄を)うたはせて聞きしに、

「神妙なり」

と言はれて、

四大声聞いかばかり 喜び身よりも余るらむ われらは来世の仏ぞと、確かに聞きつる今日なれば
(四人の弟子たちの喜びは どれほど、想像を超えているのだろうか、われらは来世の仏になるのだと、確かに約束された今日なのだから。)

とうたひたりしかば、感に堪へずして、麿綾の染付なる二衣を纏頭にしてき。をりふしにつけては興がりておぼえき。
かやうに、男女これかれ、我に歌を習ふもの、その数ありしと言へど、みな好みさしつつ、始終習ふものなくて、あひ継ぐものなし。としごろ好みたることに、たしかに伝へたる弟子のなき、口惜しきことなり。



[設問」  
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[解答例]
 三番は(1)と(2)のように質問を分割した出題の仕方が、問題としての整合性を欠いていると思う。                  (1)後白河院が延寿に今様を教えること。(今様の特定名称はいらない)
(2)今様を趣味としている後白河院が、今様の職業歌手である延寿に今様を教えること。(これで、必要十分:逆さまの説明などしないこと)

四番 恥ずかしい・怪しい
五番 延寿に今様を教えることは気が進まないので、適当な理由をつけて、その場を凌ごうと考えたから。
七番 教えを乞うた後白河院に秘曲の歌唱をほめられた喜びを、仏弟子たちが来世の成仏を保証されたときの喜びにたとえた詩を即興でつくり、今様で謡ってみせたこと。
八番 長年、趣味で続けてきた自身の今様を受け継ぐ弟子もいないうえに、今様は瞬時に消え去る声の技芸であるので、口伝の形式をとった文章にして後世に残そうという考え。

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