漢文2015(名大)書き下し文


方孝孺[1357~1402]中国、明初の朱子学者。

恵帝に仕え、王道政治を説き、燕(えん)王(のちの永楽帝)に反抗し、
一族・弟子とともに死刑に処せられた。

「遜志斎集」
口語訳のための書き下し文

士たるの患ひは、常に自ら処ること太だ浅くして、
上を望むこと過だ深きに在り。
聖賢の道は至大なり。
其の全きは以て天下を治め風俗を変ず可くして、
其の緒余、猶ほ以て一官を守り、一郷を化するに足る。
ただ小材曲芸のみに非ざるなり。

故に古の君子は、之を学ぶこと終身なるも、敢へて成ると為さず。
材用に周きも、敢へて以て能くすと為さず。
今の士は然らず。
習ふ所の者、未だ剽窃誦説の間を脱せざるも、充ちて以て足れりと為す。
能くする所の者は、室家隣里の近きに過ぎざるも、肆然として以て高しと為す。
聖賢より之を見れば、何ぞ其れ浅きや。
上の爵禄は、賢者を待つ所以にして、
固より古の君子の辞譲して居るを肯んぜざる所の者なり。
今の士は則ち以為へらく、分の宜しく得べしと。
卑きに処りては則ち崇きを願ひ、外に仕へては則ち内を希む。
怨訏して悲戚し、勢取して力求す。
其の上を望むこと、甚だ深きに非ざるか。
上の育成に労して、功少きを病む所以なり。
然れども亦た故有り。
鄙は求むる所より生じ、貪は用ふる所より生ず。
之を求めて其の道を尽くせば、則ち鄙なる者も化す可し。
之を用ふること其の才に当たれば、則ち貪なる者も消ゆる可し。
今の成均(大学)は、才を育つるの地なり。
才の美なる者を得て、之を用ひんと欲せば、二者を捨てて奚をか先にせん。

士は惟道徳を慕ふの志有りて、然る後に以て大任に当たる可し。
富貴を軽んずるの心有りて、然る後に以て大功を成す可し。

「口語訳」 途中まで
士(科挙合格の知識人・官僚)である者の心配な点は、自分を律することはとても甘いのに、
常により上の地位をを望む欲だけはとても深いことにある。賢者が実践すべき道義は膨大である。
がすべてであるといえるのは、なぜなら、その道義の実践によって天下を治め世間の習慣を向上させることができて、その余力で、さらに自分の官位を保ち、一つの集落を啓蒙するのに十分であるからである。
聖賢の道はちょっとした才能や技量だけに依るのものではないのだ。



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