十訓抄(口語訳):かの北の方とかやは、春宮大夫公実卿の女、


2010年 「十訓抄」名古屋大学出題分の最終部

1~6段落の手紙論が、7段落から別方向にカーブを切ります。
7、8段落で、心優しき人の短歌を挙げて終わります。
原文
かの北の方とかやは、春宮大夫公実卿の女、待賢門院の御妹なり。女院につき参らせて、鳥羽院へも時々参り給ひけるが、花園に入り籠もり給ひける後、かの家に菊の花の咲きたりけるを、院より召しければ、参らせらるるとて、枝に結びつけられたりける、

九重にうつろひぬとも菊の花もとの籬を思ひ忘るな

とありけるをば、ことに心おはするさまにぞ、このゆゑを知れる人は申しける。
かの貫之が娘の宿に、匂ひことなる紅梅のありけるを、内裏より召しけるに、鷲の巣をつくりたりけるを、さながら奉るとて、

勅ならばいともかしこし鶯の宿はと問はばいかがこたへむ

といふ歌をつけたりける故事、思ひ出でられて、かたがたいとやさし。



口語訳
あの北の方とか言う人は、春宮大夫公実卿の娘で、待賢門院の御妹である。姉の女院にお付き申し上げて、鳥羽院へも時々参上なさっていたが、花園内大臣家に入り籠りなさった後、その家に咲いた菊の花を、院よりお求めがあったので、献上なさるということになって、その菊の茎に結びつけになった歌、

◇宮中に移っても(移植されても)、菊の花よ、この生け垣のあたりのことを忘れないでね。

とあったことについて、ここには特に愛情あふれるものがあると、この歌の由来を知っている人が申し上げた。

かの紀貫之の娘の家に、香りが格別素晴らしい紅梅があったけれど、それを宮中からお求めがあったとき、鶯が巣を作っていたのを、そのまま献上するといって、

◇帝の御命令は畏れ多く(もったいないのですが)、鶯が「私のお家はどこ」と尋ねたなら、私はどう答えればいいのでしょう。

という歌を枝に結びつけた故事が思い出されますが、いずれもまことに心温まる和歌である。


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