漢文入試演習「五山堂詩話」書き下し文


菊池五山 「五山堂詩話」 (2010名大)
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詩は陳腐を嫌ふと雖も亦妄りに自ら、字面を捏造するの理無し。韓文・杜詩に一字として来歴没きもの無し。古人の鄭重なること、乃ち此のごとし。後生は妄りに己が意を以て種種製作す。 所謂愚にして自ら用ふることを好む者なり。偶人の来処を問ふ有れば、亦自ら其の非を知り、乃ち詭りて曰く、某の集に出づと。吾誰をか欺かん。天を欺かんや。且つ所謂新変なる者は、意思を一換して極めて斬新ならしむるの謂なり。其れ人に勝る処、必ずしも生字を用ふるに在らざるなり。猶ほ之善く庖を治むる人、其の料尋常の魚肉に過ぎざるも、一たび調剤を経れば便ち珍羞殊品と作るがごとし。今の詩流は蛇を烹て客に享する者多し。

詩に生字を用ふるは、六如の癖なり。其の人淹博通にして、鑿拠無きにあらずと雖も、然も亦古人の無き所なり。古人意を以て勝り、字を以て勝らず。六如は則ち字を挟み勝るを闘ふ。僅かに以て中人を悦ばしむべくして以て上智を牢籠すべからざるなり。蓋し渠一生詩を読むに灯市を閲し奇物をもとむるがごとし。故に其の著す所の詩話は、只だ一部の骨董簿に算ふるのみにて、殊に詩話の体を失ふなり。

問い7
本文全体の論旨をふまえ、筆者の主張を百五十以内で述べよ。

最近の詩人は自分勝手に言葉を捏造したり、難しい字や見慣れない奇抜な言葉を用いて詩を作る傾向があるが、それはまちがった作詩法である。昔の優れた詩人たちは、ありふれた言葉を用いながらも、深い洞察力がその言葉に新しい意味を与え、斬新ですばらしい作品を生み出した。これこそ見習うべきである。(139字)
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