「無名抄」;高得点への道


2017年 早大法学部 国語 1番
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単語力よりも、文脈を壊さずに読みつなぐ練習です。
このくらい(下)で、読めていれば、文脈は追えていることになります。

同じ方が、繰り返し私に教えていわく、「努々=ゆめゆめ(or決して決して)、歌よみたてたまひ。=歌詠みとして身を立てようなどと思ってはなりません。歌道はよーく心すべき道なり。われらがごとく、あるべき身分に定まってしまった者はどんなふるまいをしても、それによって身がはふるることはない。あなたなどは代々続く神職の家に生まれて、早くみなし子になれり。たとえ人が用いなくても、心だけはしっかりもって、神職で身を立てようと努力すべきだ。そうあるべきなのに、歌の道はあなたの身にたへたることだから、あちこちの歌会に、かまえてかまえてと招かれるだろう。(そこで)よろしき歌などを詠んだならば、面目も立ち、歌道における名声もきっと高まるに違いない。そうではあるけれど、いろいろなところでへつらってばかりいて、侮られしまうことになるとすれば、歌に関して人に知られることはあるとしても、遷度のさはりにきっとなるだろう。あなたたちのような職業の人は、あまり人にも知られないで、出かけて行くところでは、あいつは誰なんだなどと不思議がられて、(  ) と思われているぐらいでいいのだ。そんな調子で、どんなことでも好きで続けているうちに、その道で秀でてしまうと、『錐は、袋の中に留まっていない』ということわざのように、その評判があがって、上級の歌会にも参加し、殿上人や公卿のいる席の端に臨席することもきっとあるに違いない。これこそが歌道の遷度である。あちこちの人非人の類に加わって、人に知られ、名前を挙げて、何になるだろうか。内心では、おもしろくすすましく思われるとしても、必ず所嫌いして、やうやうしと人に言われてもよいとお思いになるべきだよ」と、教えてくれた。

今になって思い返してみると、たいへんなご恩をいただいたものである。というのは、かしこきものの習い事であるから、自分の子などをさえ、おぼろげならず教えることもしなかったが、このように率直に言って教えてくれたのは、また他でもなく、管絃の道に関して、私を後継者として、世間にも人にもかずへられてほしいと思ったのだろう。今になって思うと、感極まるものがあることだよ。

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