国語入試問題演習例(現在進行中)


参加者:高2・高3
早大法国語二番(2013)
渡辺京三「民衆という幻想」から

〇×の決め方・記述の仕方


《イントロ》
「生きる希望 イバン・イリイチの遺言」(以下『遺言』と略称する)は文字通りイリイチの最後の言葉だ。いろんな意味で世間を騒がせ続けた矯激(並外れた過激さ)ともいうべき思想家が最後に到達した洞察と境地に、いま私は畏敬の念を抱きつつ立ち合うほかはない。

この話は「ルカ伝」第十章にある。「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り傷を負わせ、半殺しにしたまま逃げ去った。たまたま一人の祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると向う側を通って行った。同様に、レピ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向う側を通って行った。ところが、あるサマリア人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒を注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿に連れて行って介抱した」。イエスはこの一一人のうち誰が被害者の隣人となったのかと問うのである。

この慈悲心を説く変哲もない挿話から、イリイチはおどろくべき考察を引き出す。

祭司もレピ人も神殿と共同体の儀式に属している人間である。彼らが傷ついた男を看過したのは彼が倫理の伝統的基盤たる同族ではなかったからだ。見過すことこそ彼らの倫理だったのである。ところがサマリア人はイスラエルの北に住むよそ者である。その彼が傷ついた男を介抱したのは、傷ついたユダヤ人をパレスチナ人が介抱するようなものだ。「彼は、自分の同族を優先する自文化中心主義を越え出ているばかりでなく、自分の敵を介護することで一種の国家反逆罪を犯している人間」だとイリイチはいう。

つまり、人間の存在の新たな地平がこのとき開けたのである。
イリイチは言う。わたしの隣人とはわたしが選ぶ人のことであり、隣人という新たな人間関係は二人の間でなされる自由な創造であり、わたしたちの決断のみに依存する関係なのだ。これこそが他者のうちにキリストを見る愛の受肉である。そして近代の創造物たる教育・福祉・公正の諸制度は、すべてキリスト教が開いた隣人への愛という新しい地平のその後の展開にほかならない。

話がこれで終るなら、イリイチはやはりカトリックの神父なのだと溜息をつくだけでいい。ところが彼はおそるべき逆説に話をもって行く。この新しい地平は制度化という危険を伴っていた。「この新たな愛を管理したい、場合によっては、法で定めたい、それを保証する制度を創設したい、そしてそれに反対する者を犯罪者とすることでそれ(制度)を保護したいといった誘惑」である。当然これは新しい権力を要求する。「最初にまず教会、のちにはその鋳型に刻印された世俗の諸制度」が権力となる。近代のルーツのどこを探しても、見出されるのはキリスト信仰の召命を制度化し法制化し管理しようとする教会の試みなのだ。
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つまりイリイチは、教育・福祉・公正のために設けられた諸制度が生み出す現代の地獄は初原におけるキリスト的隣人愛の変質・堕落の結果だと言っているのだ。最善の堕落は最悪なのである。「一番甘美なものがその行いによって一番饐(す)えた(=腐敗して酸っぱくなっている)ものとなる」(シェイクスピア)。これはおどろくべき洞察である。



再び言うが、これは途方もない主張のように問える。だが、今日の福祉社会の泥沼化した情況、さらには人権社会の強迫的な情況を前にしたとき、イリイチのこういった主張が奇妙なリアリティを帯びることは否定しょうがない。私が反射的に思い出すのは、ディケンズの「われらが共通の友」に登場する無知な一老婆である。彼女は何よりも「(一つ選択)警察・人権・文明・病気・福祉」につかまることを怖れている。そしてそれを怖れるばかりに放浪の旅に出る。旅先の小さな町で彼女はいろんな雑用を務めて暮すことができるし、人びとのささやかな情けを当てにすることもできる。その旅先で彼女は野垂れ死をするが、彼女は一箇の自由な人格として死んだのである。

『遺言」のなかで彼は言う。「今日の社会学的想定は、精神分析であれ、マルクス主義であれ、ある人のその人自身に関する感覚を、イデオロギー、社会的条件、氏素性、そして教育によって形作られた幻影であるとしています」。すなわち学者とか思想家とか呼ばれる専門家は、われわれが何者であるかということまで教えこむ。こういったケアは、イリイチによれば人びとから他者と直面することによって生ずる驚きを奪い、ひいては人間の自由と愛の根拠を突き崩すのである。


《ラスト》
私はイリイチの言説を一度たりと当為として読んだことはない。彼の言説は奇妙な方角から射しこむ啓発の光であり刺激だった。私は彼の思索によって世界への理解を深めたのだ。そしてこの「遺言」とその前の「イリイチ語録』のふたつのインタビューは、それまでのイリイチとはまた違うゆたかなよろこびと、新鮮なおどろきの泉だった。



① 本文の内容と合致するものをニつ選べ。

よきサマリア人の寓話からイリイチが引き出したものは、

ア 見過すことこそ倫理という当時の規範であり、その堕落によって生じた文明の非人間的様相である。
イ 隣人愛という新たな地平、そしてその変質によって生み出された文明の非人間的様相である。
ウ 教育・福祉・公正の諸制度の起源であり、カトリックの神父としての観察による文明の非人間的様相である。

現代の地獄とは、

エ ディケンズの作品に登場する一老婆のように、人びとのささやかな情けを当てにして野垂れ死をするような泥沼化した情況である。
オ 学校・高速道路・医療を否定し、産業主義文明から離脱して自然のなかで暮そうといった普遍性を欠いた主張に見出せる。
カ 人類の人権と福祉のために奮闘してきた良心的な人びとが、人びとから自立的かつ共同的な生存の基礎を奪ったことで生じた。

② 「おそるべき逆説」とはどういうことか。60字で説明せよ。

③ 昨今、日本の国会で審議されようとしている、あるいは審議不全に陥った法案を例に挙げて、イリイチが考えている制度化(法制化)への危惧について、100字でまとめよう。


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